「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー著

こみ上げてくる感情を制御せず、ただひたすらに文字を追い、ただひたすらに情景をたどった。この東京と言う土地、福岡というなじみの土地、大分という何度か足を運んだ土地。全ての情景が一度に流れ込んだ。
「母」という絶対的な存在。この世に生を受けたものならば、必ずどこかに存在するもの。
文中に、
「母親というのは無欲なものです 我が子がどんなに偉くなるよりも どんなにお金持ちになるよりも 毎日元気でいてくれる事を 心の底から願います どんなに高価な贈り物より 我が子の優しいひとことで 十分すぎるほど幸せになれる 母親というものは 実に本当に無欲なものです だから母親を泣かすのは この世で一番いけないことなのです」
という誰かの言葉の引用か、そのオカンの言葉かわからないという言葉があった。
ズシンときた。親、という存在。私はきっといつまでたっても子供なのだろう。子供に何かあれば、突然飛行機に乗って何百キロもの距離を駆け抜けてしまうような人。この人が生きている限り、いや、いつかもしその人間と言う体が無くなったとしても、その「オカン」に出会った日から永遠と子供なのだろう。
「ありがとう」
この言葉を期待もせずに、母という人たちは「心配」という思いのまま生きていると思うと、ただただ頭が下がる。
「ありがとう」
この言葉を伝えたいけど、まだまだまだまだ伝えたくない。